第4章 2010年代の運動 略年表(PDF)を見る(別ウィンドウが開きます)
情勢の特徴
未曽有の東日本大震災
2010年代は2011年3月11日に起きた東日本大震災から始まりました。観測史上最大規模の大地震(M9)が、最大遡上40mを越える巨大津波を引き起こして東日本沿岸を襲いました。津波や火災、建物倒壊などにより、東北地方を中心に12都道府県で約2万2000人余の死者(震災関連死を含む)・行方不明者が発生し、住居、各種建造物、インフラ、交通・輸送等も壊滅的打撃を受けました。
加えて、福島第一原子力発電所において、電源喪失による溶融が発生、水素爆発により原子炉建屋が次々と大破するなど、世界最悪レベルの深刻な事態となり、時の菅直人首相は初の原子力緊急事態宣言を発出し、周辺半径20kmの住民に避難指示を出すなど、福島県を中心に近県も含めて甚大な災害となりました。
民主党政権の崩壊と第2次安倍政権の成立
発足直後は支持率72%と、国民の圧倒的支持を受けた民主党政権でしたが、沖縄の米軍基地移転問題、消費税増税問題、などで政権公約を実現できないまま2012年12月16日の衆議院議員総選挙で大敗し、自公連立の第2次安倍内閣が成立しました。民主党政権にとって、「政治的未熟さ」や「自民党政治長年のツケの後始末」に加え、東日本大震災と福島原発事故という未曾有の災害に遭遇したことは、あまりに荷が重すぎたと言わざるを得ません。
政権に返り咲いた安倍首相は、民主党政権を「悪夢」と口汚くののしり、「戦後レジームからの脱却」を掲げて、国民生活を根底から破壊し、平和主義・立憲主義・民主主義を根本から覆す悪法を立て続けに強行しました。また、第1次安倍政権時代の2006年12月13日に日本共産党の吉井英勝議員が提出した質問主意書で、「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険」を指摘したのに対して「そのような事態は起き得ないから対策の必要はない」と答弁していた自らの責任は棚に上げて、原発事故に対する民主党政権の対応を非難するなど、無責任な姿勢を取り続けました。
安倍政権の悪政の数々
安倍政権の悪政の数々を挙げてみると、2度の消費税増税の強行(2014年4月に5%から8%へ、2019年10月から10%へ)、年金や生活保護費などの社会保障の切り下げ、介護保険増額、医療制度改悪、現行憲法を全面的に否定する「自民党憲法改正草案」の発表、教科書検定の強化、安保法制懇再開、内閣法制局長官すげ替え、国家安全保障会議(日本版NSC)設置法強行、特定秘密保護法強行、国家安全保障戦略の閣議決定、武器輸出三原則の防衛装備移転三原則への改悪など、枚挙にいとまがありません。
さらに、2014年7月1日には歴代首相も憲法上行使できないとしてきた「集団的自衛権行使容認」を閣議決定し、「集団的自衛権」を含めた《安全保障関連法(戦争法)》を2015年7月17日に衆院で、9月19日には参院でも強行可決し成立させました。
市民と野党の共闘の発展
自公政権の暴挙に対して国民的怒りが沸騰し、広範な国民的反対運動を引き起こしました。連日国会前に押し寄せた市民、学生団体のSEALDsやママの会など、それまで政治や運動に関わってこなかった青年・学生、女性が「戦争法反対!」を叫ぶ中で、「野党は共闘!」の声が広がりました。その声に応える形で、安保法制が強行されたその日(2015年9月19日)に共産党の志位委員長が「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」を提唱しました。これをきっかけに、選挙に向けて共闘を発展させようという機運が高まり、「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」や「安全保障関連法に反対する学者の会」「SEALDs」「安保関連法に反対するママの会」「立憲デモクラシーの会」などの代表が参院選一人区での共闘を求めて2015年12月20日に「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」を立ち上げました。
翌2016年7月の参院選では、小池百合子東京都知事を中心にする勢力が「希望の党」を結成し、当時の民進党との合流を図るという逆流が生まれました。これに反対する民進党の議員はあらたに「立憲民主党」を結成し、共産党が候補者を降ろした結果、32の一人区で初めての野党共闘が実現し、うち11選挙区で野党統一候補が勝利しました。特に東北では六県中五県で勝利するという大きな成果を上げました。
2019年7月の参院選では、宮城県でも「市民と野党の共闘で政治を変える市民連合みやぎ(市民連合@みやぎ)」が誕生し、自民党現職を破って新人の石垣のりこ氏(立憲民主党)を当選させました。この選挙でも一人区32のうち10選挙区(東北は四県)で勝利し、野党共闘の流れを大きく前進させました。
安倍政権は、悪法を次々に強行可決しただけでなく、①公文書の隠蔽・改竄・捏造、②首相に近い人物への便宜、③考え方の近い人物の登用など、政治の私物化、政治の劣化をも深刻化させました。
評価額9億5600万円の国有地を8億円も値引きして払い下げた森友学園問題、52年間どこの大学にも認められていなかった獣医学部新設にあたって、腹心の友、加計氏を「国家戦略特区」の事業者に選定した加計学園問題、南スーダンに派遣された陸上自衛隊の日報を隠蔽し続けた問題など、その国政の私物化の数々は目を覆うばかりです。さらに、「首相主催」の桜を見る会や前夜祭では、国費を使って自らの後援会員や地元議員を大量に招待していたことが明らかとなりました。こうした数々の問題については国会で追及されても108回ものうその答弁を重ねるなど、今もって説明責任を果たしていません。
2020年2月から世界的パンデミックに陥った新型コロナ感染症の影響で、マスクの着用、外出制限、集会や会食の自粛などで、国民生活に多大な影響をもたらしました。外出制限、会合自粛などで客足が遠のいて経営危機に陥った飲食店をはじめとする中小零細業者の経営危機が深刻化するとともに、新自由主義政策の下で削減に削減を重ねてきた日本の医療体制の脆弱さが浮き彫りになりました。
しかし、この危機に際して、安倍、菅、岸田の歴代三政権は、PCR検査の抑制、東京オリンピックの強行で感染拡大を招き、病床のひっ迫で多くの感染者が自宅療養を余儀なくされるなど、科学を無視し、国民のいのちと暮らしを守ろうとしない「対策」に終始し、国民的な批判が高まりました。コロナ危機は現在も続いており、新自由主義からの抜本的な転換が求められています。
宮城革新懇の主な活動
2000年代から2010年代の宮城革新懇の重要な運動として、自衛隊国民監視訴訟があります。この裁判は、2004年に、常任世話人の後藤東陽さん、小野寺義象弁護士など四氏が原告となって起こしたイラク派兵反対の裁判に端を発しています。9年にわたってたたかわれ、貴重な成果を得ることができました。その取り組みを紹介します。
自衛隊国民監視差止訴訟の広がり
2007年6月6日、陸上自衛隊情報保全隊が長年にわたって、自衛隊のイラク派兵に反対する集会や参加者の行動を監視し、報道機関の情報なども収集分析するなど、組織的な国民監視を続けていたことが、日本共産党の志位和夫委員長がその内部文書を公表したことによって発覚しました。
その内容は医療費負担増、年金改悪、消費税増税に反対する集会や国民春闘の取り組みまで監視されていたことを示し、国家権力(自衛隊)による国民監視の恐ろしさを示すものでした。
6月13日に12団体20名が陸上自衛隊東北方面隊に抗議するとともに、10月5日には第一陣として後藤東陽、山形孝夫、戸枝慶、小野寺義象の4氏が陸上自衛隊情報保全隊を相手どって損害賠償と監視の差止を求めて訴状を仙台地裁に提出。以降、第六陣までで計107人の原告団となり、強大な国家権力(自衛隊)を相手取ったたたかいが繰り広げられました。宮城革新懇は計15回にわたる口頭弁論に毎回参加して傍聴するとともに、公正裁判要請署名運動や街頭宣伝に取り組み、弁護団・原告団とともに違法な国民監視の差止を求めて行動しました。
2016年2月2日の第15回口頭弁論(判決)で、原告1名のみがプライバシー権の侵害を認められましたが、監視の差止は却下されました。国が上告を断念したために原告1名の勝訴は確定しました。原告75人は最高裁に上告しましたが、2016年10月26日に最高裁が上告棄却・不受理を決定したため、翌2017年3月4日に原告団・支援する会の解散が確認されました。
9年間のたたかいで、今現在も続けられている国民監視の不当性や、国家権力としての軍事組織の果たす反国民的役割が広く明らかにされたことは、自衛隊の憲法明記の危険性や改憲をめざす権力のねらいを許さないためにも、極めて大きな意義を持ったたたかいでした。