第2章 1990年代の運動 略年表(PDF)を見る(別ウィンドウが開きます)

 

情勢の特徴

 

「非自民」連立内閣の成立

 

 中曽根内閣による大型間接税(売上税)導入の失敗、「プラザ合意」による「円高不況」、その後の超低金利政策による異常な「バブル経済」の高揚とその破綻、金権腐敗政治への批判の高まり、1989年に竹下内閣で強行された消費税の導入など、1980年代後半からの自民党政治の矛盾と破綻は、1990年代に新たな段階へと踏み込みました。そうした中で、「政界再編」の動きが強まり、1993年には、自民党を離党した「さきがけ」や新生党、社会党、公明党など六党連立による「非自民」細川連立内閣が成立し、自民党は下野しました。

 しかし、細川内閣がやったことは、衆議院への小選挙区制の導入の強行、消費税率を3%から7%へ引き上げようとして失敗するなど、自民党政治を継承するだけのものでした。「非自民」政権は、細川から羽田孜へ首相が変わりましたが、わずか1年で崩壊し、社会党の村山富市を首班とする「自社さ3党連立政権」が成立しました。

 「自社さ」連立政権の成立によって、社会党は、完全に「安保・自衛隊容認」へと転換し、オール与党化、政党の右傾化の推進役へと転落しました。19938月から199611月の自民党単独政権成立までの間の特徴は、政治舞台における徹底した「共産党排除」の動きでした。政党間の協議でも、報道でも、それは理不尽なやり方で貫かれました。あわせて、1989年のソ連・東欧諸国の「社会主義」を名乗った政権の崩壊によって、「自由主義の勝利」が叫ばれ、社会の未来への希望がついえたかのような宣伝も行われました。

 1989年には、右翼的労組が日本労働組合総評議会(総評)を解散し、新たなナショナルセンター=日本労働組合総連合会(連合)を結成しました。労働戦線の右翼的再編に反対して統一戦線促進労働組合懇談会(統一労組懇)に参加していた全国の労働組合は全国労働組合総連合(全労連)を結成しました。

 

つよまるアメリカの戦争への協力

 

 政界と労働戦線の右翼的再編の進行に伴い、日米安保条約を基軸とするアメリカの戦争に協力する動きが一層強まりました。海部内閣は、19908月のイラクのクウェート侵略に対してアメリカ主導の多国籍軍が起こした対イラク湾岸戦争に戦費90億ドルを支出するとともに、戦争終結後の19914月に海外派兵(掃海艇の派遣)を強行し、次の宮沢内閣は、1991年の衆院に続けて19926月に参院で「国連平和維持活動協力法(PKO法)を強行成立させました。19959月に起こった沖縄での米海兵隊員による少女暴行事件を契機として、橋本内閣は米軍演習の縮小を口実に沖縄での実弾砲撃演習を本土の自衛隊演習場に移転することを打ち出しました。その候補地の一つが宮城県の王城寺原演習場です。

 さらに、政府は1998428日、新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)にもとづく周辺事態措置法などの法案・協定を強引に閣議決定し、国会に上程しました。この法案・協定は、自衛隊が武器・弾薬の輸送、物資の補給、船舶臨検など米軍の軍事行動支援の作戦をおこなうことが定められているだけでなく、米軍への協力を民間企業や地方自治体にまで義務づけるものでした。また、米軍が「周辺事態」と認定すれば国会の承認もなしにアメリカの戦争に協力するという、「戦争協力法」そのものでした。

 

1995年一斉地方選と参院選での共産党の躍進

 

 1990年代前半に起こったオール与党化とそのもとでの悪政の深まりは幅広い国民の批判を呼び起こしました。国民の批判は、1995年の一斉地方選挙と参議院選挙での共産党の躍進、1996年の総選挙での自民党の後退、社民党(社会党から党名変更)の激減、共産党の大幅増となって現れました。自社さ連立政権は維持されたものの、自民党は過半数を大きく割り込みました。1998年には、復党や無所属議員の入党などで単独過半数を回復しましたが、それも長く続かず、「自自」、「自自公」を経て現在まで続く自公連立政権への新たなきっかけとなりました。

 

宮城革新懇の主な活動

 

 1990年代には、ソ連の崩壊、湾岸戦争やイラク戦争、阪神淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など世間を揺るがす大問題が起こりました。また、政界再編の下で右翼的潮流が強まり、教科書問題などが起こったのも特徴です。宮城・革新懇は、こうした問題に対してシンポジウムや講演会などを開催して、オピニオンリーダーの役割を果たし続けました。それらの中でも環境問題を取り上げたシンポジウムを紹介します。 

環境問題シンポジウム「日本の森と水を考える」(1997527日)

 

 当時、日本の森林問題、水資源問題に社会的な関心が高まりっていたことを受けて、1997527日に環境問題シンポジウム「日本の森と水を考える」を仙台市民会館小ホールにおいて開催しました。

 取り組みの成功に向けて、県庁やその出先機関、県内全市町村森林組合、営林署、農協、生協、女性団体、医師の団体、各種自然保護グループ等々に案内を送るとともに、マスコミや各種地元紙への要請も行いました。県民の反響は大きく、最終的に、自然保護グループの方々、自治体の水道局の職員、マスコミの第一線で活躍している方など、幅広い方々が参加し、参加者は350人、感想文を書いてくれた人は40人に上りました。 

 当日は、初代環境庁長官大石武一氏、元衆議院議員庄司幸助氏、青木正芳氏をパネリストに、東北大学名誉教授河相一成氏がコーディネーターを務めて、シンク・グローバリー、アクト・ローカリーという視点から、環境問題を奥深いところでとらえながら、直ちに行動できることにも関心を払った報告と議論を進めることができました。また、シンポジウムの記録をブックレット(2000部)にして出版し普及しました。これも革新の立ち位置を明確にしているからこそ幅広く訴えかけることのできる運動の実を示したものでした。