第3章 2000年代の運動 略年表(PDF)を見る(別ウィンドウが開きます)

 

情勢の特徴

 小渕恵三氏が急死した後の森喜朗内閣が短命に終わった後、2001426日には、小泉純一郎氏を首相とする自公保連立内閣が成立しました。

 

小泉劇場型政治の登場

 

 小泉首相は、「自民党をぶっ壊す」などというワンフレーズで自分の政策を語り、自身の政策に反対する勢力を「抵抗勢力」と呼んで徹底時に押しつぶすという政治手法で人気を博しましたが、やったことといえば、国民の財産である郵便事業を民間に売り渡す「郵政民営化」、「有事法制」の制定やイラクへの自衛隊の派遣に象徴される軍事大国化、「小さい政府」を標榜しての徹底した福祉・教育の削減などの新自由主義的政策そのものでした。また、小泉首相による靖国神社への公式参拝などのタカ派的発言・行動や政策は、自民党の右翼的潮流を活性化させ、9条改悪を狙う憲法改悪の策動を加速させました。こうした小泉内閣の政策は、後継の安倍晋三内閣に引き継がれてさらに強化され、現在に至るまでその害悪を増大させています。

 20069月に誕生した第1次安倍政権は、安倍首相の強権的政治と閣僚らの相次ぐ金権腐敗や「持ち主不明年金記録問題」に対する世論の厳しい批判にさらされ、20077月の参院選で惨敗しました。安倍晋三氏は9月の臨時国会で所信表明をした2日後、わずか1年で突然の政権を投げ出し、福田康夫氏が後を継ぎましたが、その福田氏もまた、陸自情報保全隊による国民監視問題や新テロ特措法強行、閣僚らの暴言への批判が高まる中で、20088月の内閣改造1カ月後に突然辞任しました。

 

自民党から民主党への政権交代が実現

 

 後継首相には麻生太郎氏が指名されましたが、その直後に田母神俊雄航空幕僚長の「侵略戦争否定、集団的自衛権保持」を主張した論文が表出したり、閣僚や政務官らの不祥事や離任が相次ぎ、世論からも自民党内からも支持を失いました。その結果、20098月の解散総選挙において自民党は300から119議席に惨敗し、民主党が115議席から308議席へと地滑り的勝利を遂げ、20099月に鳩山由紀夫氏を首相とする民主党政権が誕生しました。国民の期待を受けて選挙で政権交代が実現したことは、自民党政治からの脱却を求める前向きの変化でした。

 

宮城革新懇の主な活動

 

 小泉内閣による新自由主義的政策の展開と自民党政治の急速な右傾化の下で、宮城革新懇の活動には、各分野の広範な共闘をすすめることが求められていました。 

事務室体制の確立と結成20周年記念講演会

 

 とりわけ、1990年代末の「米海兵隊は王城寺原に来るな!」運動の時期には、広範な個人・団体との共同を広げなければならず、それまでは曖昧な状態だった事務室活動のメンバーを安定的に配置することが緊要の課題となりました。

 そこで、1997年から常任世話人と世話人から34人を配置して事務室を構成し、事務室長に榊原征氏(新日本婦人の会宮城県本部の前事務局長)を選んで、日常業務の中心的役割を担ってもらいました。2003年からは真壁完一氏(前県労連議長)、2013年からは高橋正利氏(前県労連議長)、2022年からは寺沢幹緒氏(元高教組書記長)が事務室長に就き、現在まで事務室活動を継続しています。

 会は20009月に結成20周年を迎え、1028日に全国革新懇常任世話人の成瀬昇氏を招いての記念講演とレセプションを開催しました。また、「県内すみずみに革新懇運動を」を会結成20周年記念誌として12月に発行し普及しました。

連続講座の開催

 

 各分野の広範な共闘を進めるための具体的な活動として、2001年から2003年にかけて4回にわたって開催した連続講座の取り組みを紹介します。

(一)教育問題連続講座

 2000年に発足した森喜朗内閣の下で教育改革国民会議が設置され、同年末に、教育基本法見直し、学校での社会奉仕活動導入などの答申が行われ、1999年の国旗・国歌法制定の具体化とあわせて、教育現場に憲法に反する流れが押し寄せようとしている中、常任世話人の高橋浩太郎氏(前宮城県教職員組合委員長)が講師を務めて、教育問題の連続講座を20012月から4月まで3回開催しました。高橋氏は、戦後の教育基本法が制定された意義、それが現場ではたした役割に立ち入って、民主教育を守り発展させる方向について解明しました。

(二)農業・食糧問題の連続講座

 常任世話人で東北大学名誉教授の河相一成氏が講師を務め、農業・食糧問題の連続講座を9月から11月まで3回連続して開催しました。河相氏は、日本農業と国民の食糧がいかに米国中心の外国にゆだねられているか、その状態がいかに日本の大企業の儲けにつながっているか、農業再建のためにどうすべきかについて丁寧に解明しました。

(三)有事法制問題連続講座

 小泉純一郎首相は20024月に有事法制法案を国会に提出し、本格的に集団的自衛権行使、海外派兵、海外での武力行使の方向へ政治を動かそうと企図しました。これら有事法制に反対する取り組みとして、会は連続講座「許すな有事法制」を2002年の456月の三回にわたって開催しました。

 講師は川端純四郎常任世話人、小野寺義象弁護士(一番町法律事務所)、野呂圭弁護士(仙台中央法律事務所)が交代で務め、有事法制反対運動の理論的な基礎を据える連続講座となりました。

(四)「私が見た昭和史」連続講座 

 小泉政権を誕生させた自民党が、政治を右傾斜させる動きを露骨に示しながら憲法改定をめざそうとする情勢のもとで、戦争へと進んだ「昭和」がどんな時代であったかを総括的に振り返って考えようという講座として、会の常任世話人・東北大学名誉教授の服部文男氏を講師に「私が見た『昭和』」と題する連続講座を、2003524日に第1回「戦前の1940年まで」、614日に第2回「1940年から敗戦まで」、719日に「1945年敗戦から数年間」という構成で、3回開催しました。元塩釜市長の川瀬基次郎氏をはじめとして、多くの人が強い関心をもって参加し、戦災復興記念館の会場が毎回ほぼ満席になりました。この講座は20088月に服部文男著「私が見た『昭和』」という宮城革新懇出版の冊子として刊行され、928日に出版記念会を開催しました。